□こんなにも優しい、世界の終わりかた
もう2週間か3週間も前のこと。
その日も東京からの帰り道で、かなり遅い昼食を兼ねた夕食を摂ろうと、少し時間の空いた東京駅をさまよっていた。
新幹線のチケットセンターは駅チカの奥にあった。
構内の地図でその場所を確認し歩き出すと、向かってすぐの正面に割りと大きめの本屋があり、角を曲がってひたすら直進して行くと、出口の手前にそのチケットセンターはあった。
道行く途中右手に懐かしの551蓬莱があって。
うん、これ大阪の帰り道の話だわ。
違う違う全然違う。
えーっと、うん、なんだっけな。
そか、それが大阪だから、うんやっぱりあれは東京からの帰り路なのは確かだ。
探してたわけじゃないけど、たまたまあった割と小さめの本屋。
そう、あそこだ。
入り口を入ってすぐの左手がレジで、その付近はそれなりに人がごった返していた。
やれamazonだなんやかんや言っても、大きな駅の本屋はまだまだ元気そうで嬉しい。
お目当ての本があったわけではないけど、僕が手に取るのはもっぱら文庫本である。
特に意識しているわけではない。
ただ、新刊の単行本は少々値が張るし、若干荷物になってしまう。
出張帰りは披露もたまっているし、僕の鞄はそれほどスペースがあるタイプじゃない。
きっとそういったことを無意識的に脳が働いて、自然と僕は文庫本を選ぶ癖がついてしまっているんだろう。
そんなわけで目が自然と文庫本を探してしまう。
どうやらレジを通り過ぎた奥が文庫本コーナーらしい。
狭い店内に割りと多くの人。
2,3人レジに並ぶだけで、文庫本行きのルートは完全にシャットアウトされてしまっていた。
なくなく僕は入り口をすぐに右に曲がり、迂回する形で奥と足を向けた。
すでに脳内では白石一文を選び出し、視線はぼんやりと向かう先を見ている。
角を左へ曲がり、すぐにまた左へと曲がれば、その右手に高く並ぶ棚一面に白や黄色の背が隙間一つなく敷き詰められている。
最後の角(と言っても、そこまでの直線は2mもない)の手前で、ふと右目の視界に1冊の本が割り込んできた。
面で飾られているわけでもない、水色の背をした本が1冊。
『こんなにも優しい、世界の終わりかた』
と白文字で書かれたタイトルに全く見覚えはないけれど、その本が誰のものかは何故だかすぐにピンときた。
作者を確かめる前にとっさに手が伸び、するっと棚から抜き去ると、立ち止まることなくレジへと向かっていた。
『そのときは彼によろしく』を読んだのは、確か祐介と上社デニーズで毎晩のようにくっちゃべってた時だから、8年くらい前だろうか。
それこそ、そのデニーズで祐介に薦められてたっけな。
市川拓司。
今となっては僕には縁のない小説家だと思っていた。
もう、あの頃のような純粋な心はないし、少しまどろっこしいスタイルは到底受け入れられないだろう。
そんな風に考えた時もあった。
それこそ白石一文に出会ってからは、どちらかと言うと彼のようなスタイルが自分には合って、市川拓司とは真逆とも言える内容にどっぷり肩まで浸かっていたくらいだ。
そんな僕が帰りの電車内で瞳を濡らしていたのは紛れも無く事実である。
これが神の思し召しとでも言うのだろうか。
今の自分にも、まだこんな感情が残っているのが不思議で、そして内心とても嬉しかった。
とは言え、寝る間を惜しんで読み続けれるほどバカではなくなっていたので、結局5日間かけて読み終えたけれど、久々に本気で切なくて、割りと真剣にヒロインに恋してた。
市川拓司の描くヒロインは、いつも僕の理想だ。
全く、どうかしてるぜ。
市川拓司を読んだから、ちょっぴり切なくなったり、恋をしたいなぁなんて思っちゃうわけじゃなく、多分真実はその真逆なんだろう。
心が少し疲れてて、誰かの温もりや愛情を求めてるから、市川拓司をみつけてしまったんだと心底思う。
なーんてね。
全くもって読書レビューになってないね。
まぁあれです。
泣きたい人は読めばいい。
好きなら好きと言えばいい。