Zぶろぐ

願わくば世界中に幸せを

□誰もが孤独じゃなく

眠ってしまうと「また」寝過ごしてしまいそうだったからエントリー。
いや、本当は違って、最新版を見てしまったからなんだけど。
西野カナなんて聴いてたら心身崩壊の危機に陥りそうだったので慌ててミスチルへシフトチェンジ。
それはそれでまた違う効果があって、きっと西野カナには寂しさがり、ミスチルには切なさがあるんだと思う。
だから、ミスチルを聞いていると、辛くても頑張れる。この足で立っていられる。誰かにもたれかかることなく。

また1つ、僕がミスチルを聞く理由、好きな理由、好きでい続けてしまっている理由を見つけてしまったようだ。

なるほど確かにそうだ。

頑張れる。

□いつだって原動力

悔しいけれど、今のこの僕がいるのは、間違いなく君のせいだ。
このままじゃいけないって、僕の背中を押したのは君だ。
ずーっと立ち止まって地団駄しか踏めずにいた僕の足を一歩前に踏み出させたのが君なんだから、年が明けて少し歩くスピードが緩まりかけていたのに気づかせたのも君だった。

どれくらいぶりに見ただろう。
存在を確認しただろう。
思い出の中ではなく、今確かにこの時代、時間、社会に君が存在していることを奇しくも自分の目で確認してしまった。

なんてこったい。

でもまぁ、とりあえず、感謝。

だって君はいつだって原動力。

僕はもっと前に進まなきゃいけないし、そのために突き放したんだ。
ここで終わったら、全てが言い訳になる。
ここで止まったら、何もかもが無駄になる。

だったら、その時その時、一瞬一瞬の喜びだけを糧に生きていれば良かったってなる。
そうじゃいけないって、そう決断したはずなんだ。

□無意識の領域で意識的に探している

無意識という領域の存在を初めて見つけたのはフロイトだそうです。

ソースはこれ。

フロイトのりくつ

 

これをソースとして扱うのはどうかと思うけれど、自らフロイトの文献を漁って調べ直すなんてことは不可能に近いので、まぁ多少間違った解釈をしている可能性もなきにしもあらずだけど、そんな細かいところまで気にしなくていいでしょう。

 

さて、そんなわけで、自分では意識できない「こころ」の領域を【無意識】と呼びます。

『無意識で答えていた』とか、よくあるけど、つまり非意識的=無意識なわけです。

 

僕はずっとカラーバス効果だと思っていたけれど、どうやら違う気がしたので、とりあえずブログに書いとくか、という顛末。

 

この間大阪に行ったんですけど、そこで立ち寄ったセブン-イレブンの外に置いてあるベンチに座ってぼーっと前方を眺めてました。

で、不意に目に入ったわけですよ。

「いずみのもりほいくじょ」

 

もうね、どんびき。

 

その時気付きました。

あ、きっと無意識の領域で意識的に探してるんだなって。

それは姿形だけでなく言葉も含めて。

きっと無意識の領域は目に見えないから、存在という概念全般が働いてるんだなって。

妙に納得。

 

そらそうだ。

それこそ街を歩けば僕は女の子を見る癖がある。

それは可愛いかどうかを確認してるか、もしくは「彼女に似てるかどうか」もっと言えば「彼女かどうか」なのだけど、仮に僕の中の可愛い基準値を超えた子がいたとして、次に浮かぶ感情は、「でも、彼女程ではない」である。

 

そういうことを無意識的に行っている。

行った後で、無意識的に行ったことを意識する。

今までは、そこに存在する同じ【女性】という対象者がいるからだと思っていたし、看板や地名やとにかく文字に「それ」を見つけてしまう度に「カラーバス効果」だと認識していたが、どうやらそれは誤解で、そういった比較対象者がいなくとも、存在という概念で無意識の領域に存在していたんだって。

そんな小難しいことを思いました。

 

つまり、末期。

 

禁煙8ヶ月です。

あと4ヶ月で1年です。

1年です。

 

 

 

□軽く病的な程に有村架純だった半年前の僕へ

何気に過去ログを覗いてびっくらこいた。
ほぼ毎日有村架純が登場しているのです。
なんて気持ち悪いんだろう…。
いや、別に僕はなんとも思わないのだが、客観的に見たら非常にまずいだろうということはわかる。
何を考えて書いてたんだろうか。
(いや、考えるまでもなく、有村架純のことを考えていたに違いないが)

ところが、だ。
これほどまでに真っ直ぐに一途に1人の女性に飽きもせず好意を抱き続けることができるなんて、それはそれで素晴らしい才能だとは思わないかい?
ただ残念なことに、有村架純が芸能人であり、手の届かない存在であり、非現実的であるということである。
だから可能にしたと言われてしまえばそれまでで、これを現実世界においても愚直に続けることができてこそ、それで初めて真のストーカーと言えよう。
つまり、犯罪だ。思いとどまれ、俺。

第一、誰が嬉しくて毎日毎日ブログに有村架純有村架純だと書くのさ。
俺だ。
いや、正しくは、「あの頃」の俺だ。
「あの頃」の俺はきっと疲れていた。
そう、疲れきっていたんだ。
そう自分に言い聞かせでもしないと、この過去を引きずりそうで怖いので、まじでもう勘弁してください有村架純

何が2016年版カレンダーだよ。
別に欲しくねーよ。
欲しくねーよ。
欲しくねーよ。
欲しくねーよ。

□今、改めて突き刺さる曲

先日、ふと思い出し、ググり、youtubeでリピートしまくっているのです。


光について - YouTube

 

GRAPEVINE 光について

 

発売日見たら1999年。つまり16歳だった。

僕の記憶が正しければ、18歳の高校3年生の時にはまっていたはずです。

 

歌詞なんてそこまで追求してなくて、どちらかと言うとメロディに聞き惚れていたと思う。

そしてそれは今も同じ。

このメロディ、好きだなぁ。

そして歌詞も好きだ。

 

少しはこの場所に慣れた
余計なものまで手に入れた

そうきっと 急ぎ疲れたんだ ほんの少し
情熱を 抱えたままで立ってたのさ

何もかも全て受止められるなら 誰を見ていられた?
涙に流れて使えなかった言葉を 空に浮かべていた
いつも いつも
心はただここにあった 

 

いいなぁ。

でも、一番好きなのはここです。

 

もう一度 君に会えても 本当は
もう二度と届かない様な気がしてた 

 

「様な気がしてた」っていう言い回しがいいよね。

どこか傍観的で俯瞰的。

諦めに似た感覚になっちゃってしまった感。

 

ぐっと伝わります。

 

それは、この部分だけでなく、歌詞全体、さらにはメロディ全体からも伝わってくる。

そして最後のサビに向けて、少しずつ一歩ずつだけど、前に歩き出すつもりなんだよっていう期待の表れみたいなのがほんの少しだけ見え隠れしている。

つまり、まだ歩けるようになったわけじゃないけど、まぁそろそろ歩いてみようかしら、と俯瞰的な。

 

そんな感じの解釈をしてみました。

 

 

だから、今の僕に突き刺さってしまってるんだろうなぁ。

空前絶後のななせまるブーム到来のお知らせ

いや、お前に言われんでもわかっとるわ。

世間の声は厳しくて、僕がどれだけ声を荒げたって聞こえなかったはずの叫びが、今はもはや反響を通り越して多重層を奏でています。

 

 

空前絶後のななせまるブームがやってきてしまいました。

 

 

 

ヤングジャンプ 2015年 11/26 号 [雑誌]

ヤングジャンプ 2015年 11/26 号 [雑誌]

 

今週発売したヤングジャンプ

 

 

BUBKA (ブブカ) 2015年12月号

BUBKA (ブブカ) 2015年12月号

 

 ブブカ12月号。

 

 

見よ、世界の荒くれ者達よ。これが日本だ。

 

 

ついにここまできたか、ななせまる。

もはや本物の証です。

 

YJとBUBKAの同時表紙。

これほど威力のあるバズーカがあるか?

 

おかしいと思ってたんだ。

ピザハットのCM辺りから感じた違和感は、これにて補完終了。

断言します。

 

2015年、日本一のアイドルはななせまるです。

 

1000年に1人のあの人や、総選挙がどうのこうののあの軍団(たけしではなく)の人達や、キルミーベイベ(廃人)なんて到底追いつけない高台に、彼女は上り詰めてしまった。

 

もちろん、今この一瞬の話ではあり、来年の今頃どうなっているかはわからない。

というより、おそらく秋元の強引な推しぶりに飽きがきていることは間違いないだろうだがしかしだ。

いっときとはいえ、日本社会におけるアイドル勢力のトップに立ったということがどれほどにまでに凄いことなのか。

 

 

ただし、あえて言おう。

この勢いはまだ始まったばかりであるということを。

YJもBUBKAも、表紙なのに水着ではないことが、それを物語っているのです。

 

このままどこまで行ってしまうのか。

 

僕はただそれを喜びと悲しみを抱えながら見ていることしかできません。

 

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さすがにこの内容はアウト。

□宮崎史上最高のあおい

ルーズヴェルトゲームの3巻が返却から戻ってこないせいで、続きが観れません。

仕方がないからスローダンス1巻を借りた。

妻夫木くんってやっぱ最高。

この頃の小林麻央が意外と可愛くてびっくりした(なお演技)。

 

春の模様替え以来すっかりテレビが映らなくなっており、未だに改善しようとしないこの頽落ぶり。

なんかのドラマだか映画だか小説だかで言っていた。

あ、小説だ。白石一文だ。うーんと、何かの短編集の1話で、確か30歳過ぎた女性が主役の物語。

最後は会社の後輩かなんかとひっつく奴。

なんだっけな、タイトル。

確かのあの話に出てきたんだけど、観なくてもいいからテレビを付けることで寂しさを紛らわすことができるよ的な。

実はそれ凄くわかる。

ドラマや映画をDVDで借りてきて観るのとはまたちょっと違う、テレビの効果。

そこにはいないはずなのに、誰かがいるような気がする。

それはDVDでは得られない効果だと思っている。

 

始めて市川拓司の小説を文庫で買った。

たまたま寄ったブックオフに売っていた「ぼくの手はきみのために」を読んでいる。

始めての短編集でもある。

表題作でもある「ぼくの手はきみのために」はとても良かった。

市川拓司お得意のSFファンタジー要素満載の恋愛物語。

なんだか、定期的にこの季節になると市川拓司にお邪魔してる気がするなぁ。

 

陰日向に咲くを観た。

宮崎史上最高のあおいにどっぷりはまっている私ですが、岡田くんも好きなので、この2人の行末をとても楽しみにしている1人でもあります。

宮﨑あおいって、特別可愛いわけじゃないし、どっちかっていうと素っ気ない雰囲気の女子だから、いわゆる僕が好きなにゃんにゃん系(自分で言ってて恥ずかしい)ではないけれど、やっぱり演技が上手いってこういうことなんだろうなって思うのは、色々な作品の中でときおり見せる「女の子」の表情やしぐさがめちゃくちゃ可愛い。

たぶん、そこにやられたんだと思っている。

そして一度恋に落ちたら、俺ってやつは生粋のあばたもえくぼなわけで、それ以外のありとあらゆる彼女の要素を愛しく思えてしまうんだ。

それは現実世界でも一緒です。

 

映画を観て泣いたのは久々である。

船を編むでは、ぐっときて涙出そうで堪えた。

永遠の0程ではないけれど、けっこうまぁまぁ泣いた。

母の死というのは、辛いものです。

 

今年の年越し年末年始は、純情きらりを全巻観ることに決めました。

 

最近こればっか聴いてます。

 

 


ソラニン Movie "Solanin" Last Song - YouTube