□理性が感情を凌駕する
比較的、衝動を抑えるのが苦手な僕は、感情が最優先されるタイプです。
苛立ち、悲しみ、誘惑、戸惑い、それは形を変え色を変え、常に胸のど真ん中に存在し続けています。
タバコをやめたことによって培った「忍耐力」のせいか、はたまた今回に限った偶然か、根本的な原因は全くもって不明ではあるけれど、おそらく自分史上で1番理性を保っています。
それはちょっと衝撃的で驚愕の事実ではあるけれど、胸の痛みと脳内のモヤモヤが膨れ上がる割には、都度冷静さを演じることができています。
これを成長と呼ぶのかどうかはわかりません。
ただ、耐え忍ぶことができているからと言って、楽なわけでもなく、おそらくほぼ毎日何かしらの出来事をきっかけとして不意に訪れるフラッシュバックと、偶然と言うには多すぎるカラーバス効果に、時に涙を流すことすらあるのは、これまた自分史上で1番感情を揺さぶられているに違いありません。
今こうしてパソコンに文字を打ち込みながらも、無意識的に感情を理性で凌駕し、平静でいれる自分を作り上げているだけです。
そして、そういった状況であるということが真実であったことを後に確認するために、今ブログを書いています。
1ヶ月、3ヶ月、半年、1年後。
このブログを読み返した時、一体どうなっているのか。
もし、何かしらの変化があったのであれば、そのきっかけは何だったのか。
それをまた書き記しておいて欲しい。
そうして学ぶこと、つまり同じ轍を踏むことのないようになること。
それを成長と呼ぶのだと思います。
したがって、この32年間、様々な出来事を経験してきたつもりではあったけれど、やはり僕は何一つ成長していないんだな、という事実を、今、改めて再認識するとともに、それを自分の言葉で書き連ねることで、証明させてしまっているのです。
変わる必要はないと信じているけれど、同じ過ちを繰り返す必要はないし、繰り返したくはない。
変われない以上、この悲しみを二度と味わないためには、この学びを活かすしかないんだと思います。
僕はまだここにいる。
じょーざぶろーでした。