□僕が小説を読む理由
今、久しぶりに読書習慣が到来し、何冊目かの白石一文を手に取っている。
「どれくらいの愛情」という短編集で、その1作目を途中まで読んだところで、このブログを書き始めた。
僕が小説を読む理由がなんとなくわかった気がしたからだ。
こういったことはそのタイミングで言葉にしておかないといけない。
そんな焦燥感と使命感に襲われて久々にはてなブログを立ち上げた。
というか、無意識のうちにそんな風に立場を変えてそれぞれが存在していた。
めんどくさかったからというのも一理あったが、結局根っこの部分では上に書いた住み分けが本当の理由だろうと思う。
そういう意味では、このはてなブログは1番存在し続けなくてはいけないのかもしれない。
さて本題に戻ろう。
僕が小説を読む理由。
それは、自分と同じかそれ以上の苦しみを持った人の人生を身近に感じることによって、僕が持つ悲しみを和らげ、さらにその主人公らがハッピーエンドを迎えるのを見届けることで、自分自身にもいつかハッピーエンドが訪れるかもしれないという希望を与えてもらう。
絶望からのハッピーエンドという非現実的な物語を自らに疑似体験させる。
つまり僕は、僕自身に対して、小説という名の薬を処方しているのだ。
そして小説の読む量と自分の状態は比例し、読書量が嵩めば嵩むほど今の自分の容態が良くないことを暗示していることとなる。
振り返れば、僕が小説にどっぷり浸かっていた時期は全てその通りだ。
忙しさには左右されない。
精神的状態に左右される。
去年の3月頃からパタリと読まなくなった小説を今更また読み出したことがこれを物語っている。
こんなにも合点がいく結論が出たのは久しぶりなんじゃないかと思った。
これは良い傾向なのか悪い傾向なのか、それはよくわからないけれど、今じゃないと熱心に小説が読めないのであれば、そういう時期があってもいいのかもしれない。
とりあえず、また白石一文を読もう。
じょーざぶろーでした。