Zぶろぐ

願わくば世界中に幸せを

□生き方

割りと簡単に自分の軸がぶれることで有名な僕です。

芯がないというか影響されやすいというか何というか。

我は強いくせに、線が細い。

それってどうなの。

 

そんな風に自分を見つめることができるようになったのは30過ぎてからな気がします。

もう少し言えば、そんな自分が嫌いになったのが30過ぎてからかな。

 

 

元々自分のことをあまり好きではない僕は、そんな僕のことを好きになる人の気がしれませんでした。

でも、それではあまりにその人がかわいそうなので、その人の好きな僕を演じることが、自分の生き方だった気がします。

 

誰かが求める自分でいること。

 

それが僕の生き方の9割。

残りの1割は、どうでもいい自分。

 

 

そんな僕なので、恋や仕事に熱中できない時、

とてつもなく無になる。

 

夢や希望なんてありゃしないし、子供どころか結婚にさえ興味が無い。

したいこともなければ、なりたいものもない。

つまり、時間という概念を消し去るかの如く、

毎日を無駄にしていると言っても過言じゃない。

 

 

最近は、少し仕事が楽しくなってきた。

夢や希望がウンタラカンタラではないけど、

求められることに喜びを感じ、少しでも貢献、もしくは期待に応えてあげたい、という気持ちが芽生えている。

それでも、やはりそれは誰かに利用される生き方であって、

それが嫌いじゃないだけど、つまるところ自分ではない。

 

そう思えば思うほど、やはり僕は、僕の好きな人のために生きることが、

何よりも楽しく、何よりも自分らしいと思えるのです。

 

 

それは恋人であれ、友人であれ、先輩であれ、後輩であれ。

兎にも角にも、好きな人のために生きたい。

改めて、そんなことを思いました。

 

 

好きな人のために生きる。

それがたとえ利用されていたとしても、

そのために多少自分を演じたとしても、

それがやがて自分自身になれば、

それでいい。

そうやって相手に合わせて変化する、まるでカメレオンのような存在。

それが僕です。

 

 

なんじゃそりゃ。

 

 

じょーざぶろーでした

 

 

世界のカメレオン

世界のカメレオン

 

 両生類、苦手です。