□汚染
人も地球も、知らず知らずのうちに汚染されているものなんだぁと心底思った。
ほら、大気中の二酸化炭素って、昔よりすんごい多いんでしょ?
原因は色々あるだろうけど、やっぱり一番影響を受けているのは環境だと思うんです。
あ、この場合の環境はenvironmentの意味じゃなくて、surroundingsの方ね。
え?秀才ぶるなって?
だって日本語って単語だけじゃ上手く意味が伝わらない場合があるんだもん。
奥深さが仇となるケースですね、これ。
まぁいいや。
ようはさ、どれだけ産業が発達したとしても、自分の周りにいる人たちがしっかりとした美化意識を持って行動しているようであれば、少なくても自ら環境破壊に走るってことはないんじゃないかってこと。
逆を言えば、どれだけ美化意識の高い考えを持って行動していたとしても、周りの人間がそうでなければ、気づかぬうちに自分の行動が環境を破壊してしまっているんじゃないかって。
うん、よくわかんないな。
こういう無駄な例えが逆に本質を遠ざけている気がするのは内緒。
あのね、僕はなるたけ人を平等に大切にしよう・したいって思ってます。
飲食店で例えれば、お客様もスタッフも業者さんも対等の立場であると思ってるし、そう関わらなきゃいけないって思ってる。
でも世の中はそんな甘いものじゃない。
特に前職では、そういった自分の倫理観(自分の、というよりも、この倫理観が世間一般のものとほぼ合致していると自分では思って入るが)とは真逆の行動を取らざるをえないことがよくあった。
その度に『仕事だからしょうがない』って自分に言い聞かせてた。
業者さんやスタッフさんに無理強いさせながら「すみません、会社の方針なんで」って謝りながら仕事をしていた。
そうすると、大抵の場合「川上さんも大変ですね」って僕の心情を察して、みんな無理をしてくれていた。
僕自身、間違った行動はしてしまってはいるけれど、頭や気持ちの上では「本当は良くない」ってわかった上でのものであったので、仕事以外の場所、または職場が変わればちゃんとできると信じて疑わなかった。
でもね、違った。
気づかぬうちに、無意識レベルで人を蔑ろにする性質に変わってしまっていたらしい。
腐った環境に完璧に汚染されてたらしい。
それが今日発覚した。
今度の火曜日に、会社のメンバーや他業者・専門家の先生らを交えた会議があります。
そのタイムスケジュールを任されたのですが、気づかぬうちに優先順位を付けてしまっていた。
その中の一人の重要度を『勝手に』高く設定してしまい、それ以外の人たちを蔑ろにしていた。
自分ではそんなつもりなかったのにも関わらずである。
一人だけの都合を優先し、他の人はそれに合わせて『当たり前』のような扱いになってしまっていたことに、指摘されて初めて気づいた。
これはまさに前職で僕が『イヤイヤ』やらせれていた行動と全く一緒なのです。
イヤイヤ『やらされていた』はずが、いつの間にかイヤイヤ『やるよう』になり、それが『当たり前』になっていたのです。
環境って本当に恐ろしい。
人は簡単に流されてしまう。
わかっていたつもりなのに、わかってるはずなのに、知らぬ間に汚染されていたのです。
確かに強い意志を持ってさえすれば、そんな簡単に流されはしないかもしれない。
でも、社会はそんなに甘くない。
どこの世界にも『イヤイヤ』『やらされてる』人はたくさんいるものだ。
こっちの都合だけを押し通すように指示する上司。
自社だけ利益が出るように、他社を圧迫させる会社。
自分のミスを他人に押し付ける同僚。
それが倫理観に反すると思えば、今すぐその会社はやめるべきだと思う。
判断基準はあくまで倫理観だけである。
仕事は目先の効率や結果のみを追求するものじゃない。
あくまで短期と中長期を見据えた判断・行動が重要。
そして仕事というものには、必ず人対人の構図が出来上がるわけで、そうである以上倫理観だけは蔑ろにしてはいけない。
この3年間で汚染された僕の倫理観。
頭ではわかっているけれど、身体が勝手に反応してしまうようになってしまった悪い癖。
さっさと治さないと手遅れになってしまう。
確かに理不尽に思うこともある。
だけど、その始まりを招いたのは紛れもなく今の自分。
大丈夫、まだ間に合う。
急いで洗い流せば、きっと綺麗に生まれ変わるはずだ。
それまでは、とにかくもっと冷静に、そして自分の行動を振り返りながら、なんなら
常に自分は間違っているものと仮定して動く。
それくらいシビアにならないと、傷口は広がる一方だ。
これ以上血を流す余裕なんてないんだよ。
じょーざぶろーでした
- 作者: 古川裕倫
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/03/14
- メディア: 新書
- 購入: 2人 クリック: 78回
- この商品を含むブログ (21件) を見る